教授たちと、面談など。
2004年4月17日 学校・勉強とりあえず夏の間の個人指導(メールを通して)をやってもらえる事になった。
夏の間でもっと時間があるということで、実際の授業よりハイレベルな内容をやるらしい。
抽象線形代数って事になってるけど…何をやるのか楽しみ。
出来ればテンソル代数もやりたい。 厳しいだろうけど。
個人指導してくれる教授が、うちの大学の数学科の副学科長ってのが、将来のプラス要因になると良いな。
Handbook of Analysis and Its Foundations、未だ第三章の途中。
商写像について書かれてあったので、しっかり気合いを入れて読んでます。
日本評論社の、数学完全ガイダンスに 「あそこらへん(商空間等)が一つの山場になってる」 と書かれてあったのを思い出したので。
同時に、ラグランジェの定理の証明を教科書に載っていない方法で出来るか実験中。
そりゃ証明法が一通りなわけないから、絶対別のやりかたがあると思うけど…それに気付けるかどうかは違うわけで。
出来るだけ簡明な証明法がないか、色々やってみよう。
……なんか勉強の事ばっか書いてるな。
もっと日常の事も書かないと………。
夏の間でもっと時間があるということで、実際の授業よりハイレベルな内容をやるらしい。
抽象線形代数って事になってるけど…何をやるのか楽しみ。
出来ればテンソル代数もやりたい。 厳しいだろうけど。
個人指導してくれる教授が、うちの大学の数学科の副学科長ってのが、将来のプラス要因になると良いな。
Handbook of Analysis and Its Foundations、未だ第三章の途中。
商写像について書かれてあったので、しっかり気合いを入れて読んでます。
日本評論社の、数学完全ガイダンスに 「あそこらへん(商空間等)が一つの山場になってる」 と書かれてあったのを思い出したので。
同時に、ラグランジェの定理の証明を教科書に載っていない方法で出来るか実験中。
そりゃ証明法が一通りなわけないから、絶対別のやりかたがあると思うけど…それに気付けるかどうかは違うわけで。
出来るだけ簡明な証明法がないか、色々やってみよう。
……なんか勉強の事ばっか書いてるな。
もっと日常の事も書かないと………。
もちろん、今になって時間割を変更するわけじゃない。
来年度から取るべき授業や、自習すべき内容などを確認する。
とりあえず予定としては……
来年度(大学二年目)の終わりに学部の授業を(重要なのは)全て終わらして、
再来年度(大学三年目)からうちの大学の院の授業を履修。
そして三年で卒業、って感じらしい。
………無理かも。
別に無理して三年で卒業したりしなくてもいいんだけど、その方が安く済むし。
教授数人に頼み込んで、夏の間に個人指導も行ってもらうつもり。
僕が日本にいても問題がないように、メールで週1情報交換ってな形に。
明日、うちのMath Department の Vice Chair とその事についてディスカッションを予定してます。
懇意にしてるというか、仲が良いというか……一応気に入られてるっぽいので、頼みやすくて助かる。
うちの大学のPutnam Competition Team (全米大学対抗数学オリンピック)の監督でもあるので、その為の対策ゼミも週に一度開いてもらってるし。
理想としては、夏の間に線形代数のもっと高度なやつ(商空間とか、ジョルダン標準形とか。うちの大学じゃあ一年生向けの線形代数で教えないので)。。それか今やってるレベルよりもうちょっと深く入った代数学を勉強したいかな。
それもまぁ、指導教官しだいだけれど。
とりあえず佐武先生の線形代数(もちろん、英語版)を大学の図書館で発掘してきたので、これを参考テキストとして頼み込んでみよう。
さてと、予想通り数日前に書いた事に対しての反論がきたので、メールで頂いた反論を引用しつつ、僕なりの見解を書いてみる。
反論されやすいように、曖昧かつ適当な書き方をしたので、ツッコミが中々厳しい厳しい。。
*反論1 人を殺すのはいけない、 は自明な論理ではない。
>「人を殺してはいけない」という論理にも人権思想が土台としてある。
> 万人が平等と見なされるからこそ成立する「論理」なわけだから。
> 当然の公理なんかじゃない
確かに、それは今生きている人間の、もっとも平均的な意見にすぎない。
けれど……まぁこれは僕が「人を殺すのはーー」 ってのを例として使ったのがいけなかったんだけど
じゃあ 「万人を平等と見なす」 って公理は存在しないのか?
まぁ確かに…これも人権思想が土台としてあるわけだけど。
ただ僕の問題としてるのは、もっと根底にある 「そうやって論理をさかのぼって行った場合、本当に公理は存在しないのか?」
勘違いされると困るけど、公理が正しい物である必要は全くないと思う。
公理系の中に形成された論理が、その公理系の中で正しければ良いんだから。
例えば、「貴方がチョークを落とした時に、それが3つ以上に割れたのなら人を殺してもいい」 っていう公理から論理を展開する事も可能なわけだ。
で、例えばこの場合 「割れるの定義」とか、「二人が一つのチョークを手に持って、同時に落とした場合は?」 とか。 色々な状況が現れると思う。
法学とか社会科学ってのは、そういう公理系上に成り立つ物を、論理的に考えて行く学問じゃないのかな。
* 反論2 公理など存在しない
>公理が「存在」するとは、私は思わない。
>互いに歩み寄った交渉と対話を可能にするために、またより良い社会を作るために、人間がそれらしいものを作ってるだけの話だ。
後半は同意するが、前半は間違っていると思う。
人間がそれらしいものを作ってるのは、人間がまだそれを見つけてないからじゃないかな。
僕がちょっと古い、ヒルベルト的な思想を持っているからかもしれないけれど…存在を疑うのは間違いだと思うよ?
存在すると仮定して、それを追求して行くべきだと思う。
それとも、存在しないという証明があるのかな。
* 反論3 社会科学のありかた
>社会科学は「探求する学問」ではない。そういう一面も確かにあるが、それは付随属性の一つでしかない
>この学問には「作り上げる学問」という性格の方が強いんだ
作り上げる物なら、なおさら普遍的な仮定、すなわち公理が必要だと思う。
* 反論4 普遍性
>普遍的なものというのは人間の社会では成立しえない。
>そもそもの前提がどんどん変わっていくのだから。
しかし所詮は「人間の社会」という限られた空間でしかないのだから、
大きなスケールで見れば、普遍的な物が全く存在しないとは思えない。
少なくとも抽象的には、人の「社会」をある種の「体」としてとらえる事が可能だと思う。
んなの複雑すぎて現実的じゃない? 学問ってのは理想を追い求める物だと、少なくとも僕は思ってる。
*反論5 具体例、など
>分かりやすくするためにはクローン技術の問題に伴う法改正や家族制度の問題なんかを出すと一発なんだけど
勉強不足のため、家族制度の問題ってのが何を指すか今イチわからないけど…
クローン技術の問題に伴う法改正は、如何に人間の社会が well define されてなかったかの良い例じゃないかな? (well defineの使い方を間違えてる気がするが、気にしない)
論理体型が十分に整備されてなかったから、こういう問題が起こったとも言えるし
今の僕らの社会の前提となっている事が、不適切な前提だったか
そのどちらかだと思う。
実際、適切なように思えて実は不適切だった前提や仮説は、幾度となく歴史に登場している。
ちょっとマニアックな話になるけれど、「全体は部分より大きい」という公理は、果たして自明なのか?
それと似たような議論になると思う。
(結論は、自明ではない)
興味があれば、
http://www.geocities.jp/enten_eller1120/post2/modernmath.html
を読んでもらいたい。
modernmathとか書いてあるけど、現代哲学史のページ。
厳密な基礎論理の重要性を、ちょっとは理解してもらえると思う。
……自分で読み直してみて、数カ所引っかかるところがあるなぁ(笑)
読まれた方からの手厳しいお言葉、お待ちしています。
(プロフィールの横にあるリンクを飛べば、メアドとか掲示板があるので…)
さぁさっさとラグランジェの定理に関する宿題を終わらせて、Handbook of Analysis and its Foundation の第三章を読み終わらせないと。
今夜も長くなりそうだ…。
来年度から取るべき授業や、自習すべき内容などを確認する。
とりあえず予定としては……
来年度(大学二年目)の終わりに学部の授業を(重要なのは)全て終わらして、
再来年度(大学三年目)からうちの大学の院の授業を履修。
そして三年で卒業、って感じらしい。
………無理かも。
別に無理して三年で卒業したりしなくてもいいんだけど、その方が安く済むし。
教授数人に頼み込んで、夏の間に個人指導も行ってもらうつもり。
僕が日本にいても問題がないように、メールで週1情報交換ってな形に。
明日、うちのMath Department の Vice Chair とその事についてディスカッションを予定してます。
懇意にしてるというか、仲が良いというか……一応気に入られてるっぽいので、頼みやすくて助かる。
うちの大学のPutnam Competition Team (全米大学対抗数学オリンピック)の監督でもあるので、その為の対策ゼミも週に一度開いてもらってるし。
理想としては、夏の間に線形代数のもっと高度なやつ(商空間とか、ジョルダン標準形とか。うちの大学じゃあ一年生向けの線形代数で教えないので)。。それか今やってるレベルよりもうちょっと深く入った代数学を勉強したいかな。
それもまぁ、指導教官しだいだけれど。
とりあえず佐武先生の線形代数(もちろん、英語版)を大学の図書館で発掘してきたので、これを参考テキストとして頼み込んでみよう。
さてと、予想通り数日前に書いた事に対しての反論がきたので、メールで頂いた反論を引用しつつ、僕なりの見解を書いてみる。
反論されやすいように、曖昧かつ適当な書き方をしたので、ツッコミが中々厳しい厳しい。。
*反論1 人を殺すのはいけない、 は自明な論理ではない。
>「人を殺してはいけない」という論理にも人権思想が土台としてある。
> 万人が平等と見なされるからこそ成立する「論理」なわけだから。
> 当然の公理なんかじゃない
確かに、それは今生きている人間の、もっとも平均的な意見にすぎない。
けれど……まぁこれは僕が「人を殺すのはーー」 ってのを例として使ったのがいけなかったんだけど
じゃあ 「万人を平等と見なす」 って公理は存在しないのか?
まぁ確かに…これも人権思想が土台としてあるわけだけど。
ただ僕の問題としてるのは、もっと根底にある 「そうやって論理をさかのぼって行った場合、本当に公理は存在しないのか?」
勘違いされると困るけど、公理が正しい物である必要は全くないと思う。
公理系の中に形成された論理が、その公理系の中で正しければ良いんだから。
例えば、「貴方がチョークを落とした時に、それが3つ以上に割れたのなら人を殺してもいい」 っていう公理から論理を展開する事も可能なわけだ。
で、例えばこの場合 「割れるの定義」とか、「二人が一つのチョークを手に持って、同時に落とした場合は?」 とか。 色々な状況が現れると思う。
法学とか社会科学ってのは、そういう公理系上に成り立つ物を、論理的に考えて行く学問じゃないのかな。
* 反論2 公理など存在しない
>公理が「存在」するとは、私は思わない。
>互いに歩み寄った交渉と対話を可能にするために、またより良い社会を作るために、人間がそれらしいものを作ってるだけの話だ。
後半は同意するが、前半は間違っていると思う。
人間がそれらしいものを作ってるのは、人間がまだそれを見つけてないからじゃないかな。
僕がちょっと古い、ヒルベルト的な思想を持っているからかもしれないけれど…存在を疑うのは間違いだと思うよ?
存在すると仮定して、それを追求して行くべきだと思う。
それとも、存在しないという証明があるのかな。
* 反論3 社会科学のありかた
>社会科学は「探求する学問」ではない。そういう一面も確かにあるが、それは付随属性の一つでしかない
>この学問には「作り上げる学問」という性格の方が強いんだ
作り上げる物なら、なおさら普遍的な仮定、すなわち公理が必要だと思う。
* 反論4 普遍性
>普遍的なものというのは人間の社会では成立しえない。
>そもそもの前提がどんどん変わっていくのだから。
しかし所詮は「人間の社会」という限られた空間でしかないのだから、
大きなスケールで見れば、普遍的な物が全く存在しないとは思えない。
少なくとも抽象的には、人の「社会」をある種の「体」としてとらえる事が可能だと思う。
んなの複雑すぎて現実的じゃない? 学問ってのは理想を追い求める物だと、少なくとも僕は思ってる。
*反論5 具体例、など
>分かりやすくするためにはクローン技術の問題に伴う法改正や家族制度の問題なんかを出すと一発なんだけど
勉強不足のため、家族制度の問題ってのが何を指すか今イチわからないけど…
クローン技術の問題に伴う法改正は、如何に人間の社会が well define されてなかったかの良い例じゃないかな? (well defineの使い方を間違えてる気がするが、気にしない)
論理体型が十分に整備されてなかったから、こういう問題が起こったとも言えるし
今の僕らの社会の前提となっている事が、不適切な前提だったか
そのどちらかだと思う。
実際、適切なように思えて実は不適切だった前提や仮説は、幾度となく歴史に登場している。
ちょっとマニアックな話になるけれど、「全体は部分より大きい」という公理は、果たして自明なのか?
それと似たような議論になると思う。
(結論は、自明ではない)
興味があれば、
http://www.geocities.jp/enten_eller1120/post2/modernmath.html
を読んでもらいたい。
modernmathとか書いてあるけど、現代哲学史のページ。
厳密な基礎論理の重要性を、ちょっとは理解してもらえると思う。
……自分で読み直してみて、数カ所引っかかるところがあるなぁ(笑)
読まれた方からの手厳しいお言葉、お待ちしています。
(プロフィールの横にあるリンクを飛べば、メアドとか掲示板があるので…)
さぁさっさとラグランジェの定理に関する宿題を終わらせて、Handbook of Analysis and its Foundation の第三章を読み終わらせないと。
今夜も長くなりそうだ…。
今学期三週目にして、初めて寝過ごす。
昨日は12時過ぎに寝たのに…疲れてたのかな?
ベクトル解析演習を1時間くらい遅刻してしまったけど、どうせやる気のない授業なので特に問題なし。
そのすぐ後にある代数学まで寝過ごさなくて良かった。
代数のクラスでは、Cyclic Group とそれの Order について学ぶ。
いくつかのLemmaの証明を宿題と出されたが、まだ出来てない証明が一つあったり。
この日記を書き終わったら、もう一度トライしてみるつもり。
色々考えてて思った事。
数学ってのは、自明な命題を公理と置き、それらを用いて論理する展開する学問。
だから基本的には、答えが導かれたら、それが間違っている事はない。
複雑な論理的行程のように見えても、それが論理的である限りは正しいのだから。
ならば何故、社会科学には、同じような論理展開が不可能なのだろうか?
自明的な命題は、一般生活の中にも存在するハズ。
なければ、それを作れば良い。
「人を殺してはいけない」
「相手が嫌がる事をしてはいけない」
これらは、この世界の大多数の人にとっては、自明な命題のハズ(自明である事を願う)
こういう命題をいくつか作って、それから法律とかを作れば、
無矛盾=苦しむ人のいない世の中が作れるんじゃないかな。
勿論、これは理想論。 きっとそういう風に考えている人はたくさんいるのに、それが実現されてないだけ。
けどさ…忘れてる人も多いよね。 この世に存在する公理ってやつを。
もっとそれを自覚して、この世を一度作り直した方が良いんじゃないかなぁ。
そんな事を、ここ連日のニュースを見て思った。
もっと普遍的な心理ってモノを、追求しようよ。
いやまぁ、所詮戯れ言なんだけど。
多分、人間のエゴとかそういうのに、この問題の解は収束するんだと思う。
僕はそれが、一番嫌い。
ああ、一番ありそうな反論はこれかな? 人間の世の中ってのは複雑だから、簡単な公理を作るだけじゃ解決しきれない問題が存在する。
それって、ただ単に論理が苦手な人のいいわけにも聞こえる。
少なくとも、非アーベル群の特性を調べるのよりは単純だと思うけどなぁ。(非アーベル群である為の条件は、たった4つ。それも全て、中学生でも理解可能なくらいに単純な条件)
とりあえず長々と無意味な文を書いてみたけど、結論は
社会科学者も、数学者くらい思考研究に時間をかけて勉強しろ。
って事。 他意はないです。
………やっぱ疲れてるみたい。
昨日は12時過ぎに寝たのに…疲れてたのかな?
ベクトル解析演習を1時間くらい遅刻してしまったけど、どうせやる気のない授業なので特に問題なし。
そのすぐ後にある代数学まで寝過ごさなくて良かった。
代数のクラスでは、Cyclic Group とそれの Order について学ぶ。
いくつかのLemmaの証明を宿題と出されたが、まだ出来てない証明が一つあったり。
この日記を書き終わったら、もう一度トライしてみるつもり。
色々考えてて思った事。
数学ってのは、自明な命題を公理と置き、それらを用いて論理する展開する学問。
だから基本的には、答えが導かれたら、それが間違っている事はない。
複雑な論理的行程のように見えても、それが論理的である限りは正しいのだから。
ならば何故、社会科学には、同じような論理展開が不可能なのだろうか?
自明的な命題は、一般生活の中にも存在するハズ。
なければ、それを作れば良い。
「人を殺してはいけない」
「相手が嫌がる事をしてはいけない」
これらは、この世界の大多数の人にとっては、自明な命題のハズ(自明である事を願う)
こういう命題をいくつか作って、それから法律とかを作れば、
無矛盾=苦しむ人のいない世の中が作れるんじゃないかな。
勿論、これは理想論。 きっとそういう風に考えている人はたくさんいるのに、それが実現されてないだけ。
けどさ…忘れてる人も多いよね。 この世に存在する公理ってやつを。
もっとそれを自覚して、この世を一度作り直した方が良いんじゃないかなぁ。
そんな事を、ここ連日のニュースを見て思った。
もっと普遍的な心理ってモノを、追求しようよ。
いやまぁ、所詮戯れ言なんだけど。
多分、人間のエゴとかそういうのに、この問題の解は収束するんだと思う。
僕はそれが、一番嫌い。
ああ、一番ありそうな反論はこれかな? 人間の世の中ってのは複雑だから、簡単な公理を作るだけじゃ解決しきれない問題が存在する。
それって、ただ単に論理が苦手な人のいいわけにも聞こえる。
少なくとも、非アーベル群の特性を調べるのよりは単純だと思うけどなぁ。(非アーベル群である為の条件は、たった4つ。それも全て、中学生でも理解可能なくらいに単純な条件)
とりあえず長々と無意味な文を書いてみたけど、結論は
社会科学者も、数学者くらい思考研究に時間をかけて勉強しろ。
って事。 他意はないです。
………やっぱ疲れてるみたい。
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